■あの頃の記憶■




 ばんと激しい音を立ててドアが開かれ勢い良く誰かが飛び込んできた。そいつはフィル以外のモノは眼中にない様子で真っ直ぐに彼の元に駆け寄った。危うくはね飛ばされるところだった。実際膝を蹴られた。
「帰ってたなら帰ったって言ってよ! フィル兄ぃ遅いなって僕心配で心配で……」
 ひっしとフィルにしがみついて文句を並べ立てる。何だこいつ。無言で固まっているとフィルがそいつをやんわりと引き剥がして隣に座らせた。
「サリタ、紹介します。この子は七歳年下の弟、レトロです。レトロ、彼はサリスメイト。サリタと呼んであげてくださいね」
 しばしそのレトロとかいう奴と睨み合う。いや、こっちはただ見ただけなのに相手が殺気立った目で睨んでくるから自然と睨み返すことになった。
「……お前いくつ?」
 レトロが唐突に聞いてくる。面食らいながらも「五」短く答えた。するとやけに勝ち誇ったような顔をして「じゃあサリ坊だな」と言った。
「サリ坊?」
「僕は六歳だからな、一つ年上なんだからな、お前なんか坊で十分だ」
 ……何なんだこいつは。
「こらレトロ、仲良くしなきゃ駄目ですよ」
 フィルが軽くレトロを小突くと頬を膨らめて何だよフィル兄ぃと再びフィルに抱き付く。
「何で? 何でサリ坊が僕の服着てるわけ? 何でサリ坊がフィル兄ぃの部屋でご飯食べてるわけ? 僕もフィル兄ぃと食べたかったのに夕ご飯っ」
「はいはい、レトロ。明日は学校休みですから一緒にご飯食べましょうね。さあ良い子はもう寝る時間ですよ。自分の部屋にお戻りなさい」
 言われて渋々フィルから離れたレトロは、しかしきっとこちらを睨んで(いちいち睨むな)、
「こいつは? どこで寝るの」
「そうですね、場所もないし今晩は私と一緒に寝ま」「それは嫌だ」
「はい?」
「フィル兄ぃとこいつが一緒に寝るくらいなら僕がこいつにベッド貸してやる。僕がフィル兄ぃと一緒に寝る」
「それは駄目ですよレトロ。母さんに言われてるでしょう。もう六歳なんだから兄さん離れしなさいって」
「だってぇ」
 兄弟喧嘩(?)をBGMに親子丼を完食し、それでもまだ話は続いていたので暇潰しにレトロを観察した。弟というだけあって、やはり黒髪などの容姿はフィルに似ているところもある。しかし性格や言動はてんで違った。沈着冷静なフィルに比べてレトロは騒がしいし馬鹿っぽい。あと見ていて呆れるくらいフィルが好き。何て言うんだろうこういう奴のこと。えっと、そうだ。確か……ぶらこ「それならっ」
 レトロのセリフに思考が途切れた。話がまとまったのだろうか。
「それなら僕がサリ坊と寝る。かなり物凄くこの上なく嫌だけどフィル兄ぃ取られるよりは百倍マシ」
 乱暴に腕を掴まれてよろけながら立ち上がる。フィルを見ると笑顔で頷いた。
「分かりました。一晩一緒に過ごして仲良くなってくださいね」
 事情聴取の続きはまた明日。そんな言葉を背中に聞きつつひどい扱いで引っ張られていく。こいつと仲良くなるのは相当骨が折れるだろうことは間違いない。お互いに仲良くなるつもりがないから尚更だった。


「サリタ?」
「ん……。ああ、フィル……おはよう」
「おはようございます。やけに笑ってましたけど、今度は良い夢見られましたか?」
「……俺、寝ながら笑ってた?」
「はい、それはそれはにやにやにやにやと。意中の女性の夢でも?」
「……フィル」
「はいはい、冗談ですよ。どうせ小さい時のレトロとの遣り取りでも夢に見てたんでしょう」
「何でわかるかな。……レトロ、今何してるんだっけ」
「最近連絡ありませんね。どうしてるんでしょう、ちょっと実家に電話してみましょうか」
「じゃあ暇だったらよろしく。――久々にあいつと喧嘩したくなってきた」
「それは良いことですね。是非全力でどうぞ。でもその前に朝食の時間です。ウィグナーに怒られる前に食堂へ」
「ああ。え、フィルは?」
「私は、もう少し曲の方をいじりたいので、後で」
「……一応うまく言い訳しとく」
「感謝します。ではいってらっしゃい」
「うん。部屋、貸してくれてありがとう」
「どういたしまして。またいつでもどうぞ」
「うん。じゃあまた後で」
「はい、また後で」




 
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