■かくれんぼ■




 日の光が柔らかく室内に差し込む。日なたにいたらきっと暑いくらいだろう。もう春も半ばだ。優しい日差しの中にそろそろ夏の気配がし始めている。風が強いのか、先程から窓ががたがた音を立てていた。
 四階の西端に位置する自分の部屋で、ゼシルは一人、深刻な顔をして机に向かっている。一組のカードを両の指で合わせ、大胆かつ慎重に持ち上げた。
 トランプピラミッド。昼食後からもう何度目の挑戦か分からないが、とにかく初めて最終目標の五段に到達しようとしていた。
 もうちょいだ。微かに震える指先に全神経を集中させる。僅かな空気の振動さえ命取り。 自らの呼吸にさえ細心の注意を払い、いざ尋常に勝負――。
「ゼシルちゃーんっ!」
「ぐえ」
 突然背後からタックルを仕掛けられ、なす術もなくゼシルは机に突っ伏した。自分とピラミッドしか存在しない世界にいた彼女に、奇襲を察知する余裕などない。
 そろりと視線を下げるとただの紙切れと化したトランプが累々と散っていた。
「あー」トランプのことを想うあまりトランプを守れなかったとは。不覚。無念。などと考えていたら本当に泣きたくなった。
「ゼシルちゃん、ゼシルちゃん!」
 殺ピラミッド者がゼシルの背中の上に乗っかって楽しそうに名を呼んでくる。
「良いこと思いついたの。寝てないで起きて聞いてっ」
「このっ……。何で入ってこれんの、スピリア」
 悪態の一つでも吐きたかったところだが、そのはしゃぎ様に何だかもういろいろどうでも良くなって、机に手をついてスピリアごと体を起こす。スピリアはわざとらしく(らしく、でなく、絶対わざとだ)きゃああと明るい悲鳴を上げながら、後ろにあったソファに転がった。何がそんなに面白いのか知らないけれど笑い始めたが最後止まる気配がない。確実にどこかネジが一本外れた少女を(……元からか)横目で見つつため息をつく。
「誰も入れるなってサリタに言っといたはずだけど」
 トランプピラミッド五段に挑むにあたり、誰にも邪魔されないようにと近衛兵のサリタに頼んでおいたのだ。彼は今、この部屋のドアの前で(基本的には暇な)任務をこなしてくれている、はず。何事にも絶対真面目な彼が、王であるゼシルの言いつけを無視したとは思えない。つまりはスピリアがサリタをうまく丸め込んだに違いない。まあ抜けたところのあるサリタのことだから、相手がスピリアではどうしようもなかったのかもしれない。もう少ししっかりした方が近衛兵としてというよりも彼女より年配者という点で威厳を保てると思うのだが。
「ああ、うん。サリタちゃんいたよ。入っちゃ駄目とも言われたし」
 ようやく笑いの発作が収まったのか、それでもまだ肩で息をしながら(笑い過ぎ)ソファに座り直して髪の乱れに手をやり、スピリアは微笑んだ。
「でもね、私はゼシルちゃんの側近だから」"側近"の二文字をやけに強調して言う。
「だから何」
「"いつもゼシルちゃんの側にいなくちゃいけないの。それに今は急な用事だから通してくれる?"って言ったら、すんなり開けてくれたのよ」
「ほーう」
 その"急な用事"の内容も確認せずに道を譲ったのだろう。赤の他人だったのなら間違いなく怪しんだだろうが、顔見知りのスピリアだったから疑うことはなかったのだ。
 ……後でちょっとサリタを叱っておこう。疑えよって。フィルやウィグナーだったらまだしもスピリアは疑えよって。彼女にとっての"急な用事"はゼシルにとってあまり好ましい用事ではないような気がする。今までの経験からして。
 散らばったカードを全て集めて箱に戻した。今度やる時は地下牢にでも籠ろうと思う。
「で、近衛兵をもスルーしちゃう"急な用事"って何かな?」
 ゼシルが問うと、スピリアは持っていた紙を持ち上げて見せた。
「これ! 春の新作ドレスなの。ついさっきデザイナーから送られてきてね、すっごく可愛いから是非ゼシルちゃんに着ても――」
「嫌だ」
 心の底から力いっぱい拒絶。スピリアは不満気にえーっと言った。
 紙にはデザイナーが描いたらしいイラストがあった。なるほど、若葉色が柔らかな雰囲気を漂わせている、実に春らしい軽やかな一品だ。おしゃれにうるさいスピリアが絶賛するのだから相当良いものなのだろう。
 だがしかし、それとこれとは別の問題だった。スピリアの趣味とゼシルの趣味は根本的に異なるし、第一ゼシルはスカートの類を身に付けるのが嫌いだった。幼少の頃の記憶はさすがにないが、物心ついてからは特別な事情がない限り着ていない。理由はただ一つ。裾が邪魔臭い。
「他にもいろいろあるんだよー? お花をモチーフにしたのとか、淡い色のレースがいっぱいついてるのとか」
「断固拒否。ってかね、そんな用事でサリタ騙しちゃ駄目だよ、スピリア」
 トランプの箱をサイドテーブルの引き出しにしまいながらやんわりとたしなめた。スピリアはというと何やら難しい顔で考え込んでいる。反省しているようには全く見えない。
 毎月のように何だかんだと自分のファッションショーが開催されるのにはもうこりごりだ。そして毎月のように彼女に騙されているサリタもサリタだと思う。少しは学習してほしい。
 さて、この我が侭娘をどうやって部屋から追い出そうか。机の上に置かれていたポットに湯を注ぎつつ思案を巡らせていると、スピリアがぴょこんと顔を上げた。
 また何か良からぬことを思いついたに違いない。


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