■見合い話X■ 17 ゼシルの一方的な会議打ち切りの数時間後、短い手紙を持った遣いが見合い相手国へと三頭の駿馬を走らせた。 海を臨むフルデラニアへ向かった使者は王の間に通されると、リークに恭しく手紙を渡して早々にその場を辞した。 尊大な態度で頷き見送ったリークだが、姿が見えなくなるや否や封を素早く解いて中身を引き摺り出しこれ以上ないくらいに目を見開いてから王座に倒れ込んだ。大臣らが真っ青になって医師を呼ぶ。 リークの手から離れて落ちた紙のど真ん中には「不可」との赤い太字がどんと書かれており、その下に小さな細かい文字で「しつこい男は大嫌い」と付け足されていた。 「嫌だ……嫌だ……俺のゼシルが……俺のゼシルが……」 うわ言のように呟き続ける王を見て、不覚にも大臣の目には涙が浮かんだ。 「あぁ、リーク陛下。自業自得にごさいます――」 鉱山を背後に栄えるマジェンサールへ手紙を届けた使者は、玉座にちょこんと座るクリルの大きな瞳に見つめられて危うく仕事を忘れかけたが頑張って(そう、頑張って)我に返り任務を果たして帰路に着いた。 去り行く使者を、始めはにこやかな笑みを以て手を振っていたクリルだがある程度離れたところではたと態度を改めた。踏ん反り返って傍らのワインをちびちびやりながら、ニスライトが手紙を開いて中を確認するのを待つ。なかなか読んでくれない彼に痺れを切らして手紙を奪い取って(ニスライトは喜怒哀楽を全てごちゃ混ぜにした上に胡麻油を流した感じの顔で固まっていた)文面に目を通して一瞬意味がよくわからず、何度か読み返した後でようやく頭にかちんときて手紙を丸めて放り投げた。ニスライトがわあわあ言いながら(「他国の手紙をそんなふうに扱ってはいけませんってば!」)慌てて拾うのを横目で見つつ、ワイン瓶を持ち上げて一気に全て飲み干した。ワインと言えどもクリルにとっては単なるぶどうジュースに過ぎないが、それでも少しだけすっきりした。 「あの女、俺に靡かないとはなかなかやるな。むかつくー。でも、」 近衛兵が丁重に広げ直した手紙にはでかでかと「不可」の文字が実に達筆な筆跡で刻まれていた。下には多少乱れた文字で「お子様に興味はないの」と添えられていた。 くつくつ笑って玉座に身を沈める。怪訝な顔でこちらを覗きこんでくるニスライトをばしっと叩いた。 「でも、面白いな」 広大な緑の平原に位置するトラバードに手紙を届けた使者は恐縮しながらも断り切れずに山程の農産物を持たされて国に戻って行った。 見送りを済ませたナフトは自室に戻らずそのまま厩へ向かい、ノスズロの柵の前で手紙を開いた。極太の「不可」を見て思わず苦笑を漏らす。肩越しに覗き込んできた黒馬は不満なのか面白がっているのか、ふしゅんと一つ鼻を鳴らした。 「筆跡から察するに、この手紙書いたの男だろ。大臣とか。やっぱり彼女は最初から乗り気じゃなかったんだ。それなのに、フォールフィル君だっけ、なかなか行事盛り上げるのうまいね彼」 柵に寄り掛かりしばらく小声で笑っていたら、ノスズロの隣の柵から微かな嘶きが聞こえた。顔だけをそちらに向ける。 干し草に埋もれてしまいそうなほど小さな栗馬が眠たそうに口を開け、はふと息をついた。ノスズロが首を伸ばしてやるとくすぐったそうに頭を振る。 「王の座をゼシルちゃんに譲った彼女の両親が旅行中に森の中で見つけたんだってさ。母馬ははぐれたか人間に狩られたかで側にいなくて、だいぶ弱ってたから保護してゼシルちゃんの城に届けたらしい」 振り返って右手を柵の中に入れ、栗馬の額に優しく触れた。小刻みに震える弱い子馬。そのまま野生の森に放置されていたらきっと命はなかっただろう。 「でもゼシルちゃんのリデニサに子馬がビビってさらに衰弱したもんだから仕方なくこっち回したってわけ。タダで押しつける訳にはいかない何か返したいとか言ってくれちゃってさ、それならちょっと遊ぼうかっていう話になったんだ。実際には馬の面倒みてもらうからとか関係なしに遊びたかっただけのようにも思えるけどね。他の国にも同じ感じに見合い話持ち掛けてたみたいだし。何だっけな、フルデラニアには海を越えた国の漁船、マジェンサールには洞窟探検してた時に見つけてしまった超純度の高い酒だったかな。それぞれ我が国では処理できませんのでって。全部前王、前王妃からの土産だそうだ。面白いだろ、フォールフィル君」 ノスズロに頬を寄せられ、栗馬は安心しきった表情で目を閉じた。眠ったのを見届けてからノスズロが不思議そうにこちらを見やる。ナフトは肩を竦めて答えた。 「その子がリデニサにビビった理由? 知るわけないよ。推測だけど、敢えて言うなら彼女の白が栗馬には珍し過ぎたんじゃないかな。もしかしたら雌馬と会ったことで母馬と別れた時を思い出してしまったのかもしれない。まあリデニサはムカついただろうね、何で懐いてくれないのよとか」 納得したように黒馬が尾を振った。 「城に行った時にやたらと君が嫌われてたのは子馬の匂いがしたからかな。ノスズロには懐いたのがわかったんだろ。朝から晩まで一緒だもんな君たち」 目を細めてぱたと耳を動かす。あれはあれでノスズロにとっては愉快だったらしい。 「王様、夕食の支度が整いましたので」 「ああ、今行く」 厩の戸口から使用人が顔を覗かせていた。頷いて柵から体を離す。もう一度手紙に目をやってから綺麗に畳んでポケットに入れた。 「不可」の字の下、やはり男の筆跡なのだが女が書いたと見えるよう努力して丸文字にした痕跡があり「機会があればまた乗馬でお散歩しましょ」と書かれていた。 「ゼシルちゃんはそんな言葉遣いしないって」 バレバレだ。きっと見合い後の会議で早く相手を決めよと急かして逆に彼女の怒りをかい、各国に対する手紙さえも(こんなに短い手紙さえも)書いてもらえなくなったのだろう。大臣たちも大変だ。下手に繕うものだからかえって不自然な手紙になっている。「王様、何か楽しいことでもございましたの?」 使用人が微笑みながら尋ねてくる。いや何でもないよと手を振り、それでも口元が緩むのは抑えられなかった。 ……機会があれば、また。 「結局ゼシル様は誰も選ばなかったじゃない! 何よっ、全員はずれってこと?」 「賭けが成立しないわ。どうするの? なかったことにしたら良いのかしら?」 「その必要はありませんよ」 「あらっ、フォールフィル様。どうなさったのこんな使用人部屋にわざわざ」 「賭けという言葉に目がないものでしてね。ところで、王様が誰も選ばないというのにあなた方は一人も賭けなかったんですね?」 「え、ええ」 「ならば掛け金は全て主催者側に頂いてもよろしいですよね」 「え?」 「だってそうでしょう。競馬だって、当たらなかった分は主催者側に流れてますでしょう」 「ま、まあそうですけどこれは飽くまで私たち内輪でやってたも」 「ご馳走様です。また何かあったらどうぞ賭け事なさってくださいね。では失礼しました」 「……強いわ」 「……勝てないわフォールフィル様には……」 「待って。まさかフォールフィル様、この賭けのことを全て考慮した上でお見合い開催なさったのかしら」 「どういうこと?」 「私たちが賭けをやること、王様が誰ともお付き合いなさらないこと、私たちがその選択肢を選ばないこと、これらを見越してお見合いやれば、必ずフォールフィル様に掛け金がいくわけじゃない」 「考え過ぎでしょ。いくらなんでもそんなことできるわけが」 「……あるわね」 「あるわ。彼なら」 「……強いわ……」 完
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