■音楽の夜■




「で、読み終わりました?」
 楽譜に手を伸ばしながらフィルが再び問う。その手に楽譜を渡してゼシルは頷いた。
「読んだ。やっぱり良いよ。第三部すっごく和音が綺麗。強いて言うなら最後をもう少し派手にしたらってことだけど、フィルの曲じゃなくなりそうだからまあいいや」
「なるほど。いや、参考にさせて頂きますよ」
 手元のメモにさらさらとゼシルの言葉を走り書きした。それから窓の方を見やって嵐の暴れっぷりをしばらく耳にしてから、第三部の終わりに風の音を少し入れてみようかと思いますと言った。
「まだ本番まで時間あるしね、少しだけだけど。……練習とかは?」
「ご心配なく。いつも何とかなってますから」
 苦笑いを返すしかなかった。楽譜を自身で書いているわけだから暗譜の必要はないとか、フィルは楽器の天才だからとか、いろいろあるがそれでも練習はした方が良いのではないか。
 ……思い出してみると、祭りの三日前くらいから本番直前まで彼の部屋からはずっと楽器の音がしている。それこそ朝から朝まで。たぶん寝ていない。寝ながら弾いていたのなら話は別だが、そこまで器用かどうか甚だ疑問だ。フィルの部屋は防音壁なので騒音にはならない(というか、彼が弾く曲は騒音にはなり得ない。絶対)。昼間は城内の騒がしさに紛れてほとんど聞こえない。ただ、夜に窓を開けて練習していると聞こえるのだった。心地良い子守歌となり、泊まり込みで働く使用人達の細やかな楽しみになっているらしくかなり評判が良い。
 基本的に誰にも迷惑をかけていないが、唯一ウィグナーだけは被っている。フィルは練習が始まると自室に籠りっ放しで、食堂に降りてくることはまずない。よって、料理長のウィグナーは彼に如何にしてモノを食させるかが問題となり課題となる。何も食べずにいて平気なフィルもフィルだが、そこへ文句を言いつつ食事を運ぶウィグナーもウィグナーだ(ウィグナーが忙しい時はサリタやスピリアが走らされる)。
「最後にまた見て頂くかもしれませんが、その時はよろしくお願いしますね」
 すでに仕事モードに切り替わったフィルを横目に了解ーと答えてから立ち上がった。腕をぐるぐると回してほぐしながら廊下へと続くドアに向かう。このまま真っ直ぐ部屋に戻るか否か瞬秒迷って、少し食堂に寄ることにした。飲み物か軽い食べ物かをもらってから帰ろう。小腹が空いた。勝手に持っていったらさすがに怒られそうだがこの時間なら明日の朝の仕込みだなんだと、ウィグナーか誰かがいるだろうから問題ない。
 朝には嵐は止むだろう。たまには自然の歌声を耳にしながら寝るのも良い。あ、子守歌には少し騒々しいか。まあいいや。
「おやすみなさい、王様」
 フィルの優しい声が背中に届いて、ドアがぱたんと閉じた。




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