■音楽の夜■ 4 「カペラ。目が覚めてしまったのは仕方ありませんが、本当にそろそろ寝ないと明日が来なくなっちゃいますよ」 やっと笑いの収まったフィルが(それでもたまに咳き込むところが何とも言えない)カペラを抱き上げた。カペラは父親の首に腕を回してきょとんとした目で彼の顔を見つめている。 「お日しゃま、おはようってしないの?」 「そうですよ、地面の端から顔を覗かせた時にカペラが起きてると、恥ずかしくなって出てこられないんです。だからカペラは寝て待たなきゃいけないんですよ」 「ふぇー。しょんな恥ずかしがらなくていいのにぃ」 白い頬が膨らんだ。 楽譜を読む傍らで彼らの会話を聞いたり横目で見たりしていると、なかなか面白い。何が一番面白いって、フィルが父親らしい父親をやっているのが一番面白い。良い保父さんになれそうだ。子供の扱いは上手いだろうなあとは思っていたが、思うのと実際に見るのとはやはり違う。 「んー、じゃあカペラ寝るぅ。ちゃんとお日しゃまにおはようするの」 「はい、それではお休みなさい」 カペラの体がそっと下ろされる。少女はフィルの足に一度しがみついてからドアに向かって駆け出した。途中、毛の長いカーペットに足を取られたのか、がくんと大きくつんのめった。勢いそのままに半分向こう側に開いていたドアに突っ込む。 「カペラ!」 「ひゃぁ!」 なかなか痛そうな音がした。フィルが慌てて走り寄る。床に倒れ込んだのであろう最初の衝撃音の後は何も聞こえなくなった。 「大丈夫ですか?」 隣の部屋からフィルとカペラのくぐもった声が聞こえる。少女が小さくうんと答えて、でも痛かったぁと涙声で息を吐いた。 ゼシルのいる部屋が途端に静かになる。カペラを心配しつつ、まあ父親が見に行ったのだから大丈夫かと思い直した。次いで楽譜に目を走らせる。フィルが戻ってくるまでに急いで見てしまおう。最後の部。冬の訪れを告げる楽章。 どこか切ない音色を(なるべく)書かれた通り頭の中で奏でていたら、ふと嵐の様子が気になった。いつの間にか風に混じって雨も窓を叩いている。本格的に荒れているらしい。 明日は庭師辺りが血相変えて仕事するのかななどと考えながら、最後の一枚をめくった。 ラストスパートは長い和音が連なる。落ち着いた終焉。実にフィルらしい。たまには派手にぱーっと切ったらどうかと言うと、本人はからからと笑って性に合いませんからと首を振る。自身が弾く曲はいつもそうなのだ。他人のために書くのだとまた違うのだが。 フィルの場合、属性が顕著に出ているのは主に感性の面でらしい。他の三人が性格だの体質だのに現れることに比べるとなかなか変わっている。やはり秋本番になると場所時間問わずして凄まじい勢いで曲や詩などの創作活動に勤しむ(本人曰く、止めどなく溢れてきてしまってどうしようもないらしい)が、春夏冬のいずれにしても仕事としての創作はきちんとこなしている。もし、秋属性のせいで春に体調が優れないのに無理してあれだけ仕事をやっているのだとしたら、それは流石としか言えない。年の功だ。すごい。やはり四季内最年長、もう三十近いおじさ「読めましたか?」 「うわ……っ」 知らぬ間にフィルが背後に立っていた。思考回路を見透かされていた気がして肩をすくめる。 「……カペラは?」笑顔のまま動かないフィルに若干の恐怖を感じた。雰囲気を変えようと努力する。 「大丈夫でしたよ。膝小僧を少し打っていましたが、大した怪我ではありません」 「そっか。良かった」 「明日になっても痛むようなら医師に診せましょう。平気だと思いますけど」 ふうとフィルがため息をついて椅子に座った。一つに括られた黒髪が顔にかかり、自然な動作で横に流す。改めてその髪の綺麗さに訴訟を起こしたくなった。まったく、十七の自分が何で三十近いおじさんの髪に嫉妬せねばならんのだ。「王様ー?」 悶々と考えているとフィルが怪しげな笑みを以てして見つめてくる。 「――何?」 内心のどきまぎを隠して見返した。数秒の睨めっこ。永遠にも感じられたのはたぶん気のせいではない。「ま、いいですけどね」先に視線を外したのはフィルだった。どちらかが吹き出したとかそういうのではない。ただ単にフィルが呆れたような顔をして目を逸らしただけだ。 呆れるな。先にやってきたのはそっちじゃないか。 口で言わずとも彼は何かで人の考えを察する。第六感が鋭いのだろうか。秋の属性というかむしろこれはフィル独自の能力なのかもしれない。ちょっと迷惑だ。なんて思ってたことも筒抜けだと怖いなと思う。 |