■新作■




「ウィグナーはいいの?」
「何が」
 大きな鍋を運ぶウィグナーがきょとんとした顔をこちらに向けた。
「何がって、ウィグナーは年末年始の予定を誰かと立てたり話したりしなくて良いのかなって」
「あー……」
 一瞬動きが止まる。虚空を見やって頬を引っ掻き「ないな」呟いた。
「ない。誰かと過ごす予定を年末年始に組み込むつもりは毛頭ない」
「じゃあ何して過ごす?」
「……創作料理」また呟いた。こら待て年末年始さえ創作料理か己は。
「まあ気分による。家に帰ろうと思えば思ったで帰るし、厨房にいようと思えばここにいる」
 そうだな、気分次第だな。去年も一昨年もそうだったと独りで頷いて作業が再開された。水切り用のザルに積み重なる大量の菜箸やらお玉やらをわしっと掴んでは所定の場所に突っ込んだり引っ掛けたりしている。少々乱雑だが作業能率はこれが一番良いのかもしれなかった。
 お茶も飲んだしそろそろここも寒くなってきたしで部屋に戻ろうかとゼシルが腰を上げた途端に、気付いたウィグナーがすたすたと歩み寄ってきて「……もうしばらく待て」と耳元に囁いた。
「は?」
 わけがわからず思わず硬直するゼシルを置き去りにして、彼はカップのお茶をぐいと飲み干して足早に厨房奥へと姿を消した。この位置からだと全く見えない。
「ちょっとー?」声を掛けるも返ってきたのは何やら料理を始めた調理器具の音だけ。
 帰るタイミングを失い、困り果てるゼシルの耳に別の音が入った。それは食堂の外からで、廊下の方から聞こえているらしかった。 料理人たちが戻って来たのだろうか。
「料理長ーぅ、ただ今戻りましたぜぃぅええぇっ!」
 扉を凝視していたら開いて第一に入ってきた料理人とばっちり目が合った。彼はこの上なく面白い顔をして(吹き出さなかった自分は偉いとさえ思った)驚愕の叫びを気の済むまで上げていた。後に続く者たちも一様にびっくりしている。何だこれ。無意味に楽しいぞ。
 料理人たちとゼシルは基本的に会わないので(ゼシルが食堂に来ても彼らはいつも厨房で忙しそうに動き回っていて気付いてくれない)いきなりのご対面は心臓に悪かったか。
「どうも」
 決まり悪さをどうにかすべく、一応頭を下げてみたがさらに恐縮させるばかりでなんともならない。
「……あの、あー……王様」先頭の左隣の者がおずおずといった感じに進み出て、その腕に引っ提げたビニール袋の中から黄色い小袋を取り出した。
「これ、市場で買った物っす。本当は料理長にと思ってたんすけど、どうにもあの人にはこれ似合わない気がするんで……。そ、それに料理長には他の奴も買ってるし」
「ウィグナーにお土産? 市場行ったのバレたらまずいんじゃないの?」
「平気っす。料理長には買い出し行ってたって言うかぅわぁ料理長っ!」
 たははと笑っていた料理人が大慌てで口を閉ざした。振り返るとウィグナーが厨房から出てきたところで、ぐるりと若い料理人たちを見回した後「おかえり」と言った。
「そろそろだと思ってた。それで、正月料理は何か浮かんだか?」
「はい! あ、いやまあそのぼちぼちっすぼちぼち。そのために市場行って買い物を。ほら、料理長に土産もあるんすよー」
 彼の言葉を合図に料理人たちが一斉にウィグナーに群がって我も我もと土産品を差し出す。ウィグナー本人は困っているのか喜んでいるのか判断が極めて難しい複雑な顔をして、料理人たちの手からひょいひょい物を受け取っている。端から見ているとまるで生徒達に囲まれた先生だ。主に夏休み明けの風景か。冬休み明けでも良いが。
 ゼシルは一言礼を言ってから(瞬間にぴしぃっと背筋を伸ばされた)群がりに参加しなかった先程の料理人から小袋をもらった。セロハンテープで簡単に留めてある口を破らないようにぺりと開き、袋をひっくり返して手の平に中身を落とした。
 透明な袋に入った銀色のヘアゴムが出てきた。シンプルなものだが日の光が当たると若干色の具合が変化する。
「料理長、結構髪長いから縛る物必要かなと思って……でもせっかくこうして何でもない日に王様に会えたんだし差し上げます。きっと似合いますよ、それ。赤銅に銀色って」
「うん、似合うと嬉しい。ありがとう。結構欲しかったんだよね、こういうの」
「はいっ。あ、いやそんなお言葉身に余るこうふぇいっ――痛……舌噛んだ……」
 やっぱり慣れない言葉は使うもんじゃないっすねと肩を竦め、彼は一礼してから輪に加わっていった。
 ウィグナーがしばらく待てと言ったのはこの土産のお裾分けがもらえることを見越してだったのか。侮り難しウィグナー……。
 料理長は料理人たちを厨房に追いやって(彼らはぶつくさ言いながらも素直に入った)ゼシルの方を見やった。
「ゴムもらった」
 ゼシルが掲げて見せると僅かにだが微笑んで「良かったな」と言い、片手を上げて厨房に戻った。
 こちらもふと笑みを浮かべて歩き出した。時間が来るまで部屋でのんびりすることに決めた。このヘアゴムを試してみるのも良い。
 ゼシルが背を向けた厨房で騒々しく夕食の準備が始まった。たぶん年配の料理人たちもそのうち帰ってくるのだろう。あ、来た。
「ただ今戻ったぞ料理長ぅぉぁああっっ! ゼシル様ぁっ?」……またか。




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