■Summer And Cats■ 2 「待ってよ。案内する気ならそれらしく歩きなさいってば」 大急ぎで玄関へ走り、サンダルを引っ掛けて転びかけた。ぎりぎりのところで踏ん張ってバランスを保ち、ふと視線を巡らすとミイケが「何やってんのよ」とでも言いたそうな目でこちらを見ていた。 決まりが悪くなって俯き、もう一度顔を上げた時にはもう三毛猫の姿は角を曲がって消えたところだった。 さすが猫。他人のことなんて全く気にしないでどんどん行っちゃうんだから。 悪態を心の中でつきつつ、それでも全速力に近いスピードで彼女の後を追った。 次第に雑木林の中へと、しかもかなり奥の方へ入っていく。日も傾いてきた。 昼間の暑さはまだ残っているが、林の中はなんとなく背筋を撫でるような冷たさがあった。 「どこまで行くつもり?」 先ほどから何度となくミイケに訪ねているが、当然のように返事はこない。 コトも期待して聞いているわけではないからがっかりはしない。ただ言葉を口にしたいだけだ。 「もう。私帰り道わからないんだからね。帰る時もちゃんと送ってってよ」 猫一匹の後を追うことなどやめようと思えばすぐにやめられたはずだ。それでもここまで来てしまったのは大きく成長してしまった好奇心のせいであって、そのきっかけを作ったミイケには責任を取ってもらおうと思っている。 つまり、祖父母の家への送り届け。 何か書き置きでもしてこれば良かったと後悔した。今から林を抜けても夕食には間に合わないだろうし、何よりも田んぼから帰ってきた祖父母は自分がいないことにひどく心配するだろう。 もう結構な年なのだ。あまり無駄な負担を心臓にかけさせたくはない。 「もう帰ろうよ。暗くなっちゃうよ」 それまで黙々と歩き続けていたミイケがこの時初めて振り向いた。「みやあ」と鳴いてからまた前を向いて足を動かす。 一体どこへ行くつもりなのだろう。 ミイケがここまで私を連れまわしたい理由とは何なのだろう。 口の聞けないミイケに答えを求めることはできなかった。 不意にミイケが立ち止まった。数歩遅れたところを歩いていたコトが追いついて彼女の隣に立つ。 「みやあ」目の前にそびえ立つ大木を見上げた。コトも同じように顔を上げた。 どこまでも伸びた枝の先々で緑が弾け、たくましい根は大蛇のようにうねり、地面を掘り返して地上に出ては再び潜っていく。太い幹は両手を広げたコトが何人いれば足りるかわからない程だった。枝のこぶや幹のうろが暗い影を作り出す。至る所で黄金色の樹液が溢れていた。 何の木かは知らない。いつここに根付いたともわからない。 ただ、気の遠くなるような長い長い年月をここで過ごしてきたということ。 雑木林の主として仲間の木々や鳥たちのことを見守ってきたということ。 それだけがわかった。 ミイケの考えていることがいまいち理解できず、ただその大木を呆然と眺めているだけのコトにミイケは擦り寄ってきた。 「何かあるの」 ぽつりと独り言のように言葉を漏らす。「みやあ」と小声で言って、ミイケはするすると木を登り出した。 軽い身のこなしであっという間に一番低い(とはいってもコトの頭三個分は高い)枝に辿り着いた。 枝から幹に顔を入れて何かしている。うろでもあるのだろうか。ここからだとよく見えない。 移動しようと一歩踏み出したその時、ミイケが枝から飛び降りてきた。柔らかな全身をうまく使って、ほんの数段から飛んだかのように着地した。 その口には一匹の獣がくわえられていた。まだ幼い猫だった。体全体は白いが耳の先や足の先、尾の先がそれぞれ薄い灰色をしている。 好奇心いっぱいの目で興味深そうにコトを見ていた。 「この子、もしかしてあなたの?」 地面に子猫を下ろして、ミイケは静かにこちらを見上げている。何も動こうとしないのは肯定の意味と取っていいのだろうか。 子猫がよろめく。よく見ると、全体的に痩せ細っているようだった。小刻みに震え続ける体を支える足は今にも折れてしまいそうだ。 「わ、大丈夫っ?」こちらに歩み寄ってきた子ミイケ(たった今命名)が転びかけた。 足がもつれたらしい。慌てて手を出して補助した。なあなあ鳴きながらしゃがみ込んだコトの左手に鼻を寄せてくる。 そこには体温のせいで、あまり口にしたくはない物体と化した夏みかんがあった。 お腹が空いているの? 「食べさせても平気かな」 少し悩んだ後、去年友達がこたつで彼女の猫にみかんを与えていたのを思い出した。 みかんも夏みかんも同じだろう。皮をむいて少しずつ食べさせてやれば。 目を輝かせてどんどん鼻を近づける子ミイケを押し止めつつ、一つ一つ丁寧に皮をむく。 全てむき終わった後、その中の一つを手のひらに乗せてやった。 すると、子ミイケが口にする前にミイケが割り込んできて先に食べてしまった。ミイケも食べたかったのかと呆れたが、彼女は別にその気はなかったらしく、思案顔(に見えた)でじっくりと味わってからすぐに子ミイケに場所を譲った。 毒見のつもりだったのかもしれない。 残りの夏みかんはあっという間に子ミイケが平らげてしまい、まだおかわりをせがむ子ミイケを苦笑しながら押さえて立ち上がった。 がっかりした様子で子ミイケはうなだれたが、すぐに飛び跳ねながら母猫の周りをぐるぐる回る。 よかった。元気になったみたい。ほっとしてミイケの顔を見た。 はしゃぐ我が子をなだめるように、鋭く小さな声でミイケは鳴いた。 しかし、表情は嬉しそうだ。母猫らしい穏やかな目をしてコトを見つめ返してきた。 なんとなく、彼女の言葉がわかった気がした。 六日目の午前中。いつものように縁側に座って空を見上げる。 庭の草が音を立てた。そちらに自然と目が行く。 「なあ」 そこには一匹の三毛猫と、元気一杯でこちらに走り寄ってくる子猫の姿があった。 完
|