■とある一大事件の話T■ 1 今日から三日間ほど城に客が来る。その客というのはまだ歴史の浅い国の王で、それなりに歴史のあるゼシルの国の政治体制やら財政やらを勉強したいとのこと。十時から謁見の義を執り行うので、早急に食べ終わって謁見室にお急ぎください。 例の如くに寝坊して、ウィグナーにせっつかれながら遅い朝食をいつも通り一人でもそもそ食べていたゼシルに、若い大臣は事務的なことを事細かにかつ簡潔に述べて食堂を出ていった。スプーンをくわえてぽかんと話を聞いていたゼシルは、その背中に「はあ」という、返事にしてはひどく横着な言葉を掛けるしかなかった。ほとんど内容が頭に入らなかった。 ……また知らないところで物事が動いている。しかも他国の王が泊まり込みで勉強とか結構な大イベントだと思うのだが。 「毎回思うんだけど、こういう政治体制ってどうなんだろう」 食べ終わった皿を片っ端から下げていくウィグナーにぼやくと、彼はぴたりと動きを止め、少し考える素振りを見せてから、 「事の前に報告があるだけましだろう?」 一応彼なりにフォローしてくれているらしい。それでもゼシルはあまり納得できなくて、首を傾げたままデザートのヨーグルトを口に運んだ。 これは、春と夏の間の季節に起きた、とある一大事件の話。 「……まずい」 「156回目」 「だって考えれば考えるほど……や、まじでこれはまずい」 「157回目」 「いちいち数えるなサリタ」 「気にしないで下さい。独り言ですから」 謁見室の王座に身を沈め、ゼシルはもうすぐ来るらしい勉強熱心な王を待っている。室内には他に、王座付近で段取りの確認をする数人の大臣らと、入口から伸びる赤い絨毯に沿って整列した十数人の兵士たち、加えてゼシルの背後に護衛のサリタが立っていた。 無理やり赤いマントを羽織らされ頭に小さな王冠を乗せられて機嫌斜めだったゼシルだが、先程ある事実に気がついてからずっと「まずい」を連呼している。 「朝食で腹壊しましたか」 「そんなこと言ったらウィグナーに殺されるよ」苦笑いを浮かべて首を振る。 「朝食関係ない。あのさ、思うんだけど、他国の王が勉強しに来るんだろ」 「はあ」 それが何かとでも言いたげなサリタに特大の溜め息をついてやった。 「教えろとか言われても答えられない自分はどうしたら?」 「その心配はご無用ですよ」 いつの間にかサリタの隣にいたフィルがにこやかに首を振った。……いつの間に。 「勉強の方はその道のプロである大臣らが、懇切丁寧にご指導差し上げます。王様は挨拶の後は別室で私とお勉強です」 「ふうん。じゃあ自分は――は?」 フィルを見上げると意味深な笑顔で頷かれた。 「ちょ」「ムルーヴ国、ミシェア王、ご到着です」 反論しかけた言葉は、しかし大臣の厳かな声と高らかなラッパの音とで掻き消された。満面の笑みのフィルにほらほらと肩を押されて、やむを得ず正面に向き直る。 二人の男を従え、絨毯の上を真っ直ぐに歩み来る一人の少女と目が合った。 健康的な小麦色の肌と雪のような白い髪がまず目についた。髪は長く、高い位置で一つに括ってあるにもかかわらず先端が腰の辺りで揺れている。ゼシルよりも年下だろうか(朝の話に年齢も出ていたような気もするが忘れた)。大人しそうな印象と、活発そうな雰囲気とを同時に感じる不思議な少女だった。 従者の一人はがっしりとした屈強な男で、背中に大きな剣を背負っている。もう片方は逆に華奢な感じで、武器の類いは持っていなさそうだ。近衛兵は前者一人で、後者は大臣のようなものなのだろうか。見た目から判断するとガタイが良いのは30歳前半、華奢な方は20代前半かそれより若く、サリタと同じくらいのように思われた。 「ご機嫌麗しゅう、ゼシル国王陛下」 「不躾で不意な頼み事を快く聞き入れてくださいまして」 「この度は誠にありがとうございました」 「うん。…あ、いや、どういたしまし、て?」 感謝されても今日初めて知った身としては対応に困る。大臣たちの無言の威嚇にとりあえず返事をしたものの、何か歓迎の言葉でも述べた方が良いのかいやそれより誰か早く謁見なんて切り上げて解放して欲しいとかいうことを凄まじい勢いで考えていたら、相手が勝手に話を進めてくれた。 「実を申しますと、一ヶ月勉強させてもらっても足りないくらいだと思いましたの。です、がこれ以上のご迷惑をお掛けするわけにはまいりませんので、三日という日数でお願いしました」 「ぎりぎりまできっちり知識を学んで国に帰る心にございます」 「何卒、よろしくお頼み申し上げます」 従者を含めて三人でセリフを分担して話す。妙な。だがこれがムルーヴ国の風習ならば突っ込むところではない。 「そう硬くならなくて良いよじゃない良いですよ。何かあったら気にせず誰にでも言えば良いからじゃなくて良いですから」 くだけた言葉遣いにいちいち大臣が目を剥く。正直怖い。訂正も面倒くさい。 「そ、……それで、は、早速っ、勉強の方に、移りましょう…か。みみミシェア国王、こちらへ……」 冷や汗だらだらなのがここからでも分かるくらい焦っている若い大臣が、ぎくしゃくとした動きでミシェアを導く。そんなに大したへまはしてないと思うんだけどなと内心で唇を尖らせた。 「どう思う、サリスメイト」 一応ミシェアを気にしているのか、控え目にぎゃあぎゃあ喚くゼシルを、フィルがにこやかに引っ張って謁見室から出て行く。それを見届けた後、抑えた声で近衛兵長が尋ねてきた。ゼシルについて行こうとしたところを止められて、何かと思ったのだが、サリタ自身も気になることがあったので素直に謁見室に残った。今はサリタたち二人以外は誰もいない。 「どう、とは」 「お前も勘付いてはいるんだろう。……あの三人、血の臭いがする」 閉められた扉の向こうを見透かすように、兵長はついと目を細めた。真面目な話をしている時に不謹慎だが、壮年にしては仕草が渋い。たとえ何もないのに蹴躓いても渋い(一度だけ見たことがある)。 「血の臭い」反復して頷く。「少なくとも、単なる王と付きの者、という雰囲気ではありませんでした」 「大臣らが慎重に身元を調べて、安全を確認した上での招待なんだがな」 心底困り果てた様子で兵長が頭を掻いた。普段は大抵のことは何とかなると笑い飛ばして本当に何とかしてしまうのに(実際には裏でひどく苦労しているのをサリタは知っている)、これだけあからさまに悩んでいるのも珍しい。 「ゼシル国王をミシェア国王と離したのは、俺とフォールフィル殿の決定なんだ。大臣たちはかなり反発したが、ゼシル国王のオツムを理由に納得してもらった」 「誰も意義を唱えられませんね、それ」 「フォールフィル殿の知恵だ」兵長がにやりと笑う。「あの方は本当に頭が切れる」 ミシェアとゼシルを離しておけば、万が一ミシェアたちが妙な行動に出てもすぐに対応できる。まあフィルにしてみればゼシルの勉強もできて一石二鳥か三鳥なのだろう。 「城中の兵に警戒を――外からの危険にも中にいる危険予備軍にも、警戒を怠らぬよう言ってはあるが、特にサリスメイト、お前はゼシル国王の側をできる限り離れぬように」 「はっ」 敬礼し、すぐにゼシルの元へ向かった。 兵長直々に言われなくともそのつもりだった。 |