■かくれんぼ■ 5 春とはいえ、強い風が吹くと何だか肌寒かった。屋上という選択は失敗だったか。でも今さら戻るわけにも行かない。 朝の会議で天気予報士が眼鏡を光らせて「明日は嵐になりますぞ」と言っていたのをすっかり忘れていた。まだ雲は少ないが風は結構強い。春嵐というやつだ。薄手のカーディガンでも一枚羽織ってこればよかった。 「誰だよ、倉庫の壁破壊してそのままにしといたの……」 重い扉をきちんと閉めても中が明るくて風が渦巻いているのは壁の大穴のせいだった。屋上で一人自主トレーニングに励んだ兵士の誰かが犯人か、はたまた人知れず何かの実験を試みた学者の仕業か。修理するように後で誰かに言っておこう。 「ふう」 ゼシルがこの場所に隠れてから随分と長い時間が過ぎた気がする。穴から差し込む西日が少しずつ弱くなっているから、日没まであといくらもないだろう。 倉庫の中にはおよそ必要のないガラクタが積まれていた。錆付いた車輪やら欠けた壺やらネジのないぐらぐらの棚などなど。直すつもりがあってここにしまってあるのだろうか。だったら早く直してやって欲しい。痛みを訴える無音のうめき声が聞こえてきそうで、ゼシルは小さく肩をすくめた。 彼女が隠れているのは倉庫の一番奥だった。整然と並ぶ馬具を乗り越えてぼろ布の山を 掻き分け割れた皿の近くを慎重に抜けたところにある、脚が一つ折れて短くなっている長机の下。入るのも大変だったが見つけられるのも大変そうだ。さらには出るのも大変そうで、いっそ全てのガラクタを崩してやった方が手っ取り早いかななどと考えてみる。実際にやったら大臣とかに凄まじく怒られそうだし、何よりやった本人が一番痛い思いをするだろうからやらないけれど。 全く、かくれんぼというゲームは単純に不公平なものだ。探す方はいつもどきどきしていられるが、隠れる方は鬼が近くに来てくれないと本気でどきどきできない。寧ろ暇だ。あまりにも暇だったので、何かの形に見られないかと平らな石の床のヒビやしみを凝視したり、今日の夕食に嫌いなトマトが入っていたらどうやってウィグナーに見つからないように残そうかと考えたりしていた。今はそれらにも飽きて、ただぼけらっと宙を見ている。 「――ん」 自分は何のためにここにいるんだっけという疑問が浮かびかけたところで、ようやく誰かの足音が聞こえてきた。屋上に来るための螺旋階段は天井が高いので音がすぐ響く。しかもこの倉庫は側面の一つが螺旋階段がある棟に接しているからなおさらよく聞こえるのだった。 だが、それにしてもかなりの勢いで上っているようだ。絶対にどこかで転ぶ……あ、やっぱり。 (よっぽど焦ってるみたいだね) およそ顔面から突っ伏したであろう衝撃音に思わず苦笑いが浮かんだ。それからやや速 度を下げた足音があって、金属の扉が開く錆付いた音が微かにし、次に倉庫の扉が開いた。 やっと隠れている側の"どきどき"が始まった。日没まで多分もう一分ないが、さてどうだろう。 「ゼ、シルちゃん! もうっ、いるのわかってるんだから、ね!」 なぜか怒っているスピリアの声が倉庫の中を抜けて壁の穴から出ていった。ややオレンジ色を帯びた赤い夕日は手近な雲を自分と同じ色に染めて、それとわかる速さで落ちていく。 スピリアが破壊の神となって手当たり次第に物をどかし始めた。残念だがまだゼシルの位置には遠い。 (いるのわかってても見つけられなきゃ意味ないんだよ) 心の中でほくそえむ。この分だとファッションショーは阻止できそうだ。 「きゃあぁ! どうしてこんなに散らかってるのよっ。探せないじゃない探せないじゃない!」 散らかっているのは元からだがさらに散乱させたのはスピリアだ。突っ込んでやりたい気持ちをぐっと堪えて、ついでに撒き上がる無限大の量の埃に対する咳も堪えた。少し辛い。 夕日の光が力を失って、闇の割合が増えていく。勝ちは確定だと肩の力を抜いたその時、スピリアが方向を変えて馬具をがしゃがしゃと隅っこに寄せ始めた。 ゼシルがこの場所に来るまでに乗り越えたあれだ。粗方崩したところで今度は布の山を一気に蹴散らす。スカートでやることではない。 妙な勘でも働いたか。最後の最後というところでスピリアがこちらに近づいてきていた。全身に緊張が走る。(ちょっとやばい……)心臓が耳元に移動したようで、鼓動がやたらとうるさい。実戦をしているみたいだ。いや、確かにある意味本気の戦いではあるのだが。 「みーぃつけた!」 「――っ?」 スピリアが不意に叫んだ。まだ辛うじて日はある。見つかったか? ゆっくりと顔を上げた。淡い黄のレースがついたスカートから、スピリアの細い足が伸 びているのが見えた。さらに目だけを動かして上を見る。 明後日の方向を指差すスピリアがいた。 すとんと幕を下ろすようにして周囲に闇を引きながら、最後の日の光が地平線の彼方に消えた。ゲーム終了。 「……はったり?」 小声で問うと、今にも泣き出しそうな目をして一度だけ頷いた。 |