■稽古■




「な? マラソンやりましょうよゼシル様」
「嫌だったら嫌だ」
「オレも一緒に走りますから」
「一人で走れ」
「それじゃ意味ないでしょうが」
 押し問答に疲れたのか豪快なため息を一つ漏らす。ゼシルはあくまでもそっぽを向いていた。
 埒が明かないとようやく気付いたのだろう、サリタはかったるそうに立ち上がり、ゼシルのいる日陰の一歩手前で止まった。
 ただでさえ褐色の肌をしているのに(単なる日焼けではなく生まれつきらしい)逆光で さらに色が濃くなる。
「こうなったら一見は百聞にしかずです。もう一回勝負しましょう、ゼシル様」
「それを言うなら百聞は一見にしかずだ」
 思わず突っ込みながらゼシルも立ち上がって、促されるままに日なたへ出た。
「今からなるべく長ーく戦います。オレの方が体力あるって自負してますんで、とにかく長く引き伸ばしてやります」
「えー……」
 つまり、勝敗を決めるにあたっていかに体力が大事かを経験しろということらしい。
 猛暑の昼下がりにそんなことするのは自殺行為だと思うのだが、サリタはすでにやる気十分だ。まあ確かにやる前に休憩を長く取っているから大丈夫だろうけれど。やると決めたらやるまでやめない。さすが獣。
 ゼシルは早々に諦めて短剣を持ち直した。サリタも嬉々として長剣を構える。
 長ーくやると言うからにはそれなりに本気でかかってくるのだろう。油断はできなかった。鞘に入ったままとはいえ、中身は本物だ(しかもサリタオリジナル)。当たれば痛い。良くて青痣、悪くて骨折といったところか。
 ちなみに今までの稽古の中で最も大変だったのは骨折ではなく熱中症だった。サリタと同じように日なたで稽古を受けていたら不意に意識が朦朧としてきて倒れた。サリタは化け物だから何ともなく、その分ゼシルが突然倒れた理由がわからなかったのだろう。死に物狂いでゼシルを抱えて部屋へと運び医者の首筋に剣を突き付ける勢いで急き立てて診させた上で、ゼシルが寝込んでいた三日三晩のできる限りの間枕元で懺悔していた。
 熱にうなされていたから詳しいことは全く覚えていなかったのだが、後でフィルやスピリアに話を聞いて思わず笑ってしまった。何もそこまで焦ることもないだろうに。
「では始めます」
 サリタが静かに宣言した。二人の間を張り詰めた空気が漂う。
 季節外れの落ち葉が風に吹かれて僅かな音を立てた。
 短剣のゼシルが間合いを詰めるのと長剣のサリタが間合いを取るのがほぼ同時。次いでサリタは横に跳び、ゼシルは交差させた両腕を振り抜いた。短剣の切っ先がサリタの剥き出しの腕を掠めるが、当然彼の表情に変化はない。
(早い……っ)
 四方八方から繰り出される斬撃は体勢を整える暇を与えてくれない。だんだんとゼシルは防戦一方になり始めた。基本的には受け流し、たまに短剣で受け止めてはいるが、サリタの長剣には質量も腕力も劣るため逃げるのが一番だった。
 武器を持つなら長剣が良いと稽古を始める前から熱望していたのだけれど、サリタが頑としてここだけは譲らなかったのだ。すばしっこくて腕力のないゼシルには、長剣を振り回すより短剣で突っ込む方が向いていると考えてのことだろうが、それにしたって威力はやっぱり長剣の方が上だし短剣は相手の懐に入らないと意味ないしで(投げるという使い道はまた別だ。これも戦法のうちだが、やると手元の武器がなくなるのである意味捨て身技だから)、今の稽古は所詮護身術の域を脱していない気がしてならない。ゼシルはそんな中途半端なのじゃなくてもっとちゃんとした戦力になりたいのに。
 しかし、これ以上の我侭を言うと稽古そのものがなくなる。今は我慢して励むしかなかった。いつかは長剣を持たせてくれるだろうことを願いつつ。
 タイミングを見計らって掲げた短剣の交点で長剣を受け止め自身の後方に流す。同時に体を前に出してサリタの懐に潜り込むが、容赦ない蹴りが鳩尾に入って数メートル飛ばされた。
「このっ――!」
 悪態をつきながら痛みを無視してすぐに起き上がる。それでも足元がおぼつかない。小さく舌打ちをして頭を振り、目線を上げたら青く光る長いものが一直線に突っ込んできて反射的に膝を折って交わすが追い討ちをかけるように手痛い一撃が肩を打った。顔を顰めて痛みに耐え、走って距離を取る。
「ちょっと今のは痛かったぞこら」右肩の痺れで短剣をうまく握れない。ああもう。
「すいません。脊髄反射ってやつは本人の意思とは関係なしに働くものなので」
 多少の殺気を織り交ぜて言うと飄々とした態度で返してきた。すいませんとは言いつつも全く悪いと思っていない。
 じんじんと疼く右肩を小さく動かして痛みを散らそうと努力しながら、いつの間にか騒がしくなった周りを見回すと観客がいた。若い数人の女の使用人たちがきゃああサリタ様頑張ってとか何とか黄色い悲鳴を上げている。
 うるさいな。
 無言でぎろりと睨みつけてから(途端に悲鳴はひそひそ声に変わる。それはそれでうるさい)低い姿勢で地面を蹴った。痺れに構わずサリタの足を狙って短剣を繰り出す。大きなバックステップで木の下に逃げられるがこれで良い。



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