■稽古■




 誰かと思ってよくよく見てみれば、紺色の髪だったりかき氷を持ってきたり真夏日に完全防備している辺り、城内において該当する人物は一人しかいないのだった。
「……ウィグナー?」
「三時になったが」
 訝しがりながら問うと、彼は先程と同じ言葉を繰り返した。要するに三時のおやつの時間になったが食うか食わんかどっちなんだということだろう。ちなみに今日のおやつはかき氷らしい。持ってきたのは見せるためよりもむしろ自身の手を冷やすためか。
 ウィグナーは冬の属性を持つ。故に夏の暑さには弱い。少し強い日差しを浴びただけで皮膚が爛れ、見るも無残な姿になるとかならないとか。だから外に出るときは常にサングラス等で防備し、氷などの冷たいものを持ったり頭に乗せたりして体温を下げているらしい。まあサリタのように寝込んだり怪我したりといったような顕著な変化はあまりないので、その点では周囲に優しい属性だ。料理長である彼に冬眠ならぬ夏眠されたらたまったものではない。室内にいるときはクーラーをがんがんにかけているため、冷え性のものにとっては悪魔かもしれないが。
「ああ、ウィグナー。何だ、もうそんな時間なのか」
 獣は獣らしく時間の経過を全く気にかけていなかったようで、太陽を見上げてだいぶ驚いた顔をした。呆れながらため息を吐き、問う。
「どうする? 今日はもう終わりにするか、それとも一時中断して夕方またやるか」
「どちらにせよかき氷は食べるつもりなんですね」
「当たり前。で、どっち?」
 個人的にはまだ物足りないしかき氷なんかどうでも良いしとぶつぶつぶつぶつ呟いた彼は、ふとウィグナーを見やってしばし固まり、やっぱりここは一時中断でと言った。
 そうと決まればこんな暑い中庭にいつまでも突っ立っている必要はない。陽炎で揺れる芝にくらりとなり、ゼシルは慌てて日陰に入った。ウィグナーが持つかき氷の器を取って額に当てる。ほてった肌には冷た過ぎて思わず小さな悲鳴を上げたが、離すつもりはない。
「王、そんなに日向で無茶するとまた倒れるぞ。あと、それ取るな」
 返せ返せと背の高いウィグナーが手を伸ばしてくるので、ゼシルは身を屈め半ば本気で逃げた。城内に入るまでで良いから貸して下さい。冷たいってもう本当になんて気持ち良いんだろう。
「無茶しても平気だよ。またサリタが運んでくれる」
「ゼシル様、冗談はやめて下さいね」
 苦笑いを浮かべた前科持ちがすったすったと歩き出した。あははと笑ってゼシルも後に続く。その隣をウィグナーが静かに歩む。器奪還は諦めたのだろうか。
「……王」
 突然、独り言のようにウィグナーが呟いた。横にいれば小さくとも耳に入るわけで、ゼシルはついと顔を上げた。
「何、ウィグナー」
 呼び掛けただけなのか本当に単なる独り言だったのか、ウィグナーは前方を見据えたまま何も言わない。不思議に思ってそのまま待っていると、思い出したようにこちらを向いた。
 それから、
「――あ」油断していた。器を取られた。
 透き通ったガラスを日にかざして目を細め、彼はまた独り言みたいに言う。
「そんなに暑いなら、もっと効果的に冷やした方が良いだろう」
「は?」
 口の端が僅かに上がり、多少なりともウィグナーの表情に笑みが浮かぶ。……普通、彼は滅多なことでは笑わないのに。というか、むしろ感情を表には出さないのに。
 冷たい何かが背中を転がり落ちていった。嫌な感じ――。



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