■見合い話U■




「……何?」
「いや、幸せついでにゼシルに言っておこうと思って。俺の城に来ないか」
「は?」
 こんなに話が急展開するとは思ってもみなかったので頭がついて行けていない。皿に添えていた手を握られても振り払うのを忘れていたほどだ。
 たぶん自分では最高にキマっていると思っているだろう笑みを浮かべてリークは言った。
「名前こそ知っていたがやはり最初は友達からとか考えていた。しかし、そんな悠長なことを言っている場合ではないくらい君を愛してしまっている俺がいる……。俺は君が好きだ、ゼシル! 結婚してくれ」
「――嫌だっ」
 掴まれた手が無理やりリークの口元に持っていかれた時にはさすがに我に返って本気で抵抗した。それでも手の甲に相手の唇が掠った感覚があって、背筋がぞわりとなった。よほど彼のことが嫌らしいなと苦笑いする客観的な自分がいてそれが妙に笑えた。
 笑っている場合ではないのだが。本当に。 口付けは辛うじて免れた(ということにしておこう)が、まだ手は握られたままだ。
 立ち上がり、椅子を挟んで対峙する。外にいるだろうサリタを呼ぼうかどうしようかで瞬秒目を離した隙に一気に引き寄せられた。椅子に片膝をついて、相手の懐に思い切り突っ込むことだけは回避する。
「わ……っ」
「照れなくて良い。ゼシル、素直に俺に対する気持ちをぶつけてごらん」
 とにかく体を離そうと躍起になりながら迷わず答えた。「気持ち悪い」
「はは、まだ言うかい? ゼシルはどこまでも――」
「……だまれっ」
 ついに我慢のゲージが限界を超えた。相手は一国の王様だと先程まで囁いていた天使は海外旅行にでも出掛けたのかいなくなり、代わりに思う存分やっちまえと悪魔がゴーサインを出した。
 体を捻ってリークに背中を向けそのままみぞおちに肘鉄を叩き込んだ。
 サリタを呼ぶまでもない。リークはぐはあとか情けない声を上げてその場に倒れ込んだ。
「王様」
 聞こえた声に振り向くと、入口のところにフィルが立っていた。その後ろには困り顔のサリタと青ざめた表情のリークの近衛兵。
「こ、国王陛下!」
 彼はフィルとサリタを押し退けて、ゼシルの足下に突っ伏したまま動かないリークに駆け寄った。そっと抱き起こして呼吸を確かめ安堵の溜め息をつく(こいつが肘鉄くらいで死ぬもんか)。
 どやどやと大臣やら何やらが温室に入ってきてかなり騒がしくなった。この雨の中を傘なしで皆走ってきたのか全身ずぶ濡れで、髪の毛が頭にぺったり張り付いている(中年の大臣のは見なかったことにした)。
「お静かに、皆さん」フィルが手を叩いて注目を集めた。
「陰から覗いていましたが、ゼシル王様はリーク様に手を出されて条件反射で張り倒してしまったようです」
 張り倒してなんかないと不機嫌な顔で呟いたら密かに小突かれた。頭を押さえて見上げるといつもより三割増楽しそうなフィルの顔があった。
「本当なのか、エドル?」
 相手方の大臣がわたわたと近衛兵に尋ねた。エドルと呼ばれた彼はえーあーという不明瞭な言葉の後でこっくし頷いた。大臣が額に手をやってふらついた。
「それはそれは……。申し訳ありませんでした、ゼシル王。言い訳がましいかもしれませんが、国王陛下は昔から惚れやすい質でして。そうだと思い込んだら猪突猛進一直線の、いやあどこまでも純粋なお方なのでありまして、はい……」
「まあ何にせよ、今日のところはお開きでしょうね」
 大臣の肩に手を置いてフィルが言った。大臣は彼を見上げて(頭一個分小さいのだ)また溜め息をついた。
「そうですな、いや本当に申し訳ない。しかしゼシル王がお強くて良かったですよ。今回の惚れっぷりは尋常ではありませんでしたからな」
「と、言いますと?」
「お見合い話をフォールフィル殿から頂いてからそれはもう大変な盛り上がりようで、写真を見ては名を呟き話を聞いては物思いに更け、終いには会う女全てがゼシル王に見えるという末期状態に――おや、ゼシル王。どこへ行かれます?」
 大臣の話を最後まで聞いていたら全身がじんま疹で埋め尽くされそうだったのでそっと出口に向かった。
「見合いが終わったなら部屋に戻る」
 淡々と答えて雨の中を駆け出した。
 あまりの解放感に大声で歌いたかったのだがさすがにまだまずいと思い直して口を閉じた。
 広がる笑みだけは押さえようがなかったが。
「ゼシル様っ」
 傘を持ったサリタに追いつかれた。立ち止まって素直に傘の中に入る。
「……凄まじくご機嫌ですね」
「やー、こんなに嬉しい自由は初めてかもしんない。明日と明後日の見合い相手にも肘鉄食らわせて終わらせようかな」
「それはまずいかと思いますが」
 まあゼシル様らしいですけどねと近衛兵は苦笑して、ゼシルの歩幅に合わせて歩いた。
「お相手に何言われてたんですか」
 質問にはへらりと笑って、
「忘れた。忘れることにした。うん、部屋戻ったら寝て全ての記憶を抹消しよう」
 拳を握り、相変わらずうきうきした足取りで城に向かっていった。え、寝たら記憶って定着するんじゃなかったでしたっけ、というサリタの言葉は聞こえなかった。


 一方その頃、使用人控え室にて様子を探っていた女使用人たちはこそこそと話をしていた。
「残念ね。リーク様はハズレのようよ」
「嫌だわ、意外とゼシル様って好みうるさいのかしら」
「でもまだわからないじゃない? 後のお二方がお気に召さない場合はリーク様に戻る可能性も……」
「それもそうね。いいわ、私またリーク様が選ばれるのに一票!」
「私は昨日言ったままで結構よ」
「……これで良し、と。ふふ、使用人の間でこんな賭け事がなされているだなんて夢にも思わないんじゃなくて?」
「良いじゃない。お見合いという行事はむしろ毎日を平坦に過ごす私たちのためにあるようなものよ。こんなことしなくちゃつまらな過ぎて生きていけないわ」
「ま、私にはサリタ様がいらっしゃるから毎日平坦なんかじゃないけどね」
「何言ってるの。サリタ様はみんなのものよ。抜け駆けは許さないんだから!」
「やーん、サリタ様がゼシル様と相合い傘してらっしゃるわ!」
「きゃあぁっ! サリタ様素敵ー!」
「こちらをお向きになってー!」
 彼女らの楽しみもまた、あと二日間は続く。



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