■新作■ 3 「原因はわかった」 いつの間にか厨房の奥に姿を消していたウィグナーが戻ってきた。その手には何やら白い布が乗っている。 「これだな、他に考えられない。味付けにと思ったんだがやはり強すぎたようだ」 不思議に思って凝視するゼシルの目の前にウィグナーは布を差し出した。布を開くと中には拳大の塊が入っていた。透き通った綺麗な紅で、全体としてはごつごつとした鉱物を彷彿とさせた。 「塩海塩塊、だ」 「へぇ、これが」 もう少し粉っぽい物を想像していたので少々面食らった。これをどうやって料理に使うのだろう。 しげしげと眺めていたらウィグナーがポケットから小型のハンマーを取り出した。カウンターに乗せられている塊に一度こつんと当ててから次にどんと振り下ろす。固い物が砕ける音。細かい屑と共に小さな破片が塊から転がった。 「このくらいの破片を溶かし込んでみたんだが……やはり塩塊は加減が難しいな。伊達に"料理人泣かせ"の異名を持っているわけではないということか」 「こっちの粉入れればいいのに……。そんな異名ついてるの、これ」 「店の老人が言っていた。まあ使っていればそのうち慣れるだろう。心配ない」 「だから、粉入れれば解決だろがっ。……まぁいいけどね。や、良くないか。早く慣れるか使うの諦めるかしないと誰か一人くらいは病気になるよ」 「……それはまずいな」 珍しく眉間に皺など寄せてウィグナーが困っている。健康は食事から、だ。一応城の者の体調管理を担っていると言っても良い立場にいるのだから、自らの料理で病人が出るのはやはり宜しくないのだろう。しかしどうしても破片の方を使いたいらしい。料理人の意地だか拘りだかは消費専門のゼシルにはよくわからない。 「とにかく、このままメニューには出せないね。塩分対策を早く何とかすべし」ゼシルの解決案はさらりと流されているのでたぶん採用するつもりはないのだろう。こうなったら本人に何とかしてもらうしかない。他に良い案は浮かばない。 そもそも、なぜ敢えて塩海塩塊なのか。普通の白い食塩では駄目なのか。あっちの方が使い勝手が良いと思うのだけれど。塩に味の違いがあるとか言われた日にはその違いがわかる人を尊敬しようと思う。 ほとんど独り言で呟いていたのだがウィグナーは目敏く聞いていたらしく、 「ああ、塩海塩塊を使うと僅かにだが味が素直になる」 そんなことを当たり前のような顔をして(むしろ知らないゼシルを不思議がる様子で)言ってのけた。うわあ尊敬せねば。 ウィグナーの簡単な説明によると、通常の食塩だと若干味が固くなるらしい。料理人が引き出したいと思った素材本来の旨味を邪魔してしまうのだと。それに比べて塩海塩塊は旨味を壊さず邪魔をせず、逆に引き立ててくれるという良い所だらけのスーパーアイテムでプロの料理人なら必ず一塊は常備するべき必需品なのだそうだ。だが流通することはあまりなく、見掛けたら逃すな家宝を売ってでも手に入れろと歴代の料理人たちは言うらしい。 塩海塩塊が産出されるのはこの国から見て西の方角に位置する塩海のみだ。険しい山々の合間にある深い峡谷に水が湧き、巨大な湖ができている。あまりに巨大な上塩分を大量に含んでいたので第一発見者が海と間違えたために"塩海"と名付けられていると聞いた。そこの水はこの塩塊のような紅に染まり、一説では戦争の際に流れた血が溶け込んでいるとか結ばれない運命にあった恋人たちが塩海で二人一緒に心中を図ってその悲しみを表しているとか言われるが、そんなの単なる迷信で(ホラーお断り)、本当はもっと現実的な理論で説明できる。もっともゼシルは詳しい話は知らない。図書館で調べるなり大臣に聞くなりすればわかるだろうが、まあ知らなくても問題ないなら知らなくても良いだろう(今のところは大丈夫だ)。 「保留、と」 ウィグナーがメモ帳にさらとそう書いてポケットに戻した。続いてハンマーもしまう。 「試食もうおしまい? まだあるの?」 思案顔で腕を組むウィグナーに少しだけ期待しながら尋ねた。また妙な物を食べさせられるのはごめんだが(目とか)、それでも彼の料理はおいしい。 料理長はついと顔をこちらに向けて小さく頷いた。「あることはあるが、……食べるか?」 どこか怪訝な色のある声だった。その意を汲み取ることができず、ゼシルはただ首を傾げるしかない。 |