■とある一大事件の話U■ 4 数秒間か数分間か、しばらく膠着状態が続いた後、「ふふ」微かな笑い声が沈黙を破った。俯いていたミシェアがゆっくりと顔を上げる。 ぞっとするような残忍な笑みを浮かべて。 「殺しとけば良かった。余計なチャチャ入れやがって」 突然薄いドレスをがばりと脱ぎ捨てる。下に着ていた黒いハーフパンツに白いタンクトップという動き易さ重視の姿になって、次いで太腿に巻かれていた黒布を外し、髪を下ろして布をバンダナ代わりに巻いた。膝の辺りまで伸びた白い髪がさらりと空気をはらむ。 「やだやだ、これだから低能ってやだ。何も知らないゼシル国王陛下様が血の海に沈むところ、大人しく見てれば良かったのに」 「やっぱりあんた、王でも何でもないんだな」すと目を細める。「自分の城に何の用だ」 「言ったじゃない。一回で理解しろ。ゼシル国王陛下様を血の海に沈めて、この城を我が物にする」 剣呑な物言いのわりには大して気分を害した様子もなく、どこに隠し持っていたのか抜き身の短剣でミシェアがゼシルを指し示した。反射的に腰に手が伸びる。目を見開く。 短剣がない。 「呑気に寝てる間に一本貰っちゃったわよーぅ。二本常備してるって聞いたけど、どっかに落としちゃったわけ?」 「あ」そういえば会議室で眠らされた時に。……やばい。 間抜けドジ阿呆馬鹿とけらけら笑うミシェアに対して、平静を装いながら必死で頭を働かせる。考えろ考えろ。牢は密室。地下の部屋。鍵はとっくに賊に奪われているに違いない。逃げ道はない。叫んでも助けは来ない。サリタ……。 「さぁて、どうするのかしらん、ゼシルちゃん?」 切っ先をゼシルに向けたままゆっくりと近付いてくるミシェアに一歩ずつ退くしかない。狭い牢の中だ。すぐに背中が壁に当たる。 隣の牢から逃げろ逃げろと必死な声が聞こえている。無茶言うなと内心で応えた。自分の得物が自分を狙う。笑うに笑えない冗談。 「さあて、どこからいこうか。足? 腕? それとも」 ミシェアがにぃと片方の口端を持ち上げて、 「一思いに、死ぬ?」セリフの終わりと同時にミシェアが床を蹴った。 間一髪で右方向に避ける。だんと壁に背中をぶつけてミシェアを睨み、荒い呼吸を繰り返す。微かな痛みに横目で肩口を確認すると、半袖シャツが切れて血が滲んでいた。 まずいな。無意識に舌打ちする。こんなことなら体術も真面目にやっとくんだった。 「ふうん、結構無様な逃げ方するのね」可愛らしく小首を傾げた。その手にはゼシルの血が付いた短剣が握られている。 「ま、今のでそれじゃあゼシル国王陛下様も大したことないな。あのサリスメイト直々の指導受けてるって聞いたから若干期待してたのに」 丸腰相手に短剣構えて何を言うか。 思わず吠えかけて、しかし言葉は言葉にならなかった。 「な、……」見えなかった。 瞬きする間もない早さでミシェアがゼシルの懐に突っ込んだ、らしい。認識した時にはすでに目の前に白い髪があった。 彼女の左腕がゼシルの背中に回され、力強く抱き締められる。「ぁぐ……っ」左の脇腹に深々と突き刺された短剣がなおも押し込まれ、あまりの激痛に呼吸すらままならない。 生温いものが湿った音を立てて足下に落ちた。 「さっき私が言ったことは本当よ」 痛みに意識が薄れ痛みに意識が繋がれる。短剣が抜かれて膝が折れ、石の床になす術もなく倒れた。震える手で傷口を押さえるが血は止まらない。 血の滴る短剣をゼシルに放って寄越し、優しい声音でミシェアは言った。「『私、あなたのような国王様にずっと憧れてましたの。強くて優しくて、城の者だけでなく国の皆からも慕われる素敵な国王様』」 ミシェアが静かにしゃがんで、頭を動かす余力もないゼシルの耳元にそっと告げる。 「でも、あなたのような一人では何もできない、自分の身すら自分で守れない哀れな国王様にだけは絶対なりたくない」 そんな王様なんてさっさと死んじゃえ。 そう言い捨てた後、ミシェアが身を翻して牢の錠を開けたのが気配で分かった(鍵はこいつが持っていたのか。外の奴らかと思っていた)。きぃと錆びた音がして扉が開き、少女の足音がゆっくりと遠ざかっていく。 自分の身すら自分で守れない哀れな――。 |