■とある一大事件の話V■ 7 二つ並ぶうち手前の牢に彼女はいた。壁際で横向きに倒れたまま微動だにしない。赤黒いものがゼシルの体を染めているのに気付いた。 半開きの扉を蹴り開けて素早くゼシルの傍らに片膝を付く。「ゼシル様っ」ああ、もうこの数分で何度呼んだだろう名を再度口にする。仰向けに抱き起こすと左脇腹を押さえていた。顔からは血の気が引き、微かな浅い息をしている。 生きてた。痛々しい傷に安心はできないが、それでもほっとする。良かった。 血だらけの手を脇腹から引き剥がして、自らの服の裾を千切り、とりあえずの止血を試みる。布はあっという間に赤く染まり、吸い切れない血が滴った。 「……ぅ……」 小さな呻き声が聞こえた。はっとして彼女の蒼白な顔を見つめる。 「ゼシル様」 「……さ……り、た……」 ぼんやりと焦点の合わない瞳が揺れている。あまりに酷い様子に下唇を噛み締めた。 俺は一体、何のために彼女の側にいるというんだ。 掛けるべき言葉も見つからないまま、じわじわと冷たくなるゼシルの体を掻き抱いた。戦うしか能のない人間が、戦う前に守るべき人を傷つけさせてしまった。 「サリタ……」 弱々しい声が己の名を呼ぶ。血塗れの手がゆっくりとサリタの頬に触れた。 「ゼシル様、何もしゃべらないで下さい。今医師を――」 「あたし、さ」 聞き慣れない一人称に思わず口をつぐむ。"あたし"――。 「あたし、王様失格……、かな」 「ゼシル様、いきなり何を」 動揺を隠すために、自分の上着を裂いて即席の包帯を作りながら首を振った。 以前にも一度だけ、彼女が一人称を"自分"から"あたし"に変えたことがあった。意図的にではなく、たぶん無意識に。 いつだったか、どうしてだったか、混乱気味の頭ではなかなか思い出せない。 「自分の、身、すら、一人で守れない、奴が……さ、みんなを、……守れるわけない……よね……」 呼吸をするだけでも気絶しそうな痛みに襲われているはずだ。それでもゼシルは話すことを止めない。つっかえながら、長い息を吐きながら、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべながら、真っ直ぐにサリタの目を見つめる。 「どう、したら……、良いのかな」 「ゼシル様」 「あたし、もう……嫌だ……誰かが……怪我する、の、嫌だ……」 自らの傷なんて気にも掛けないで、少女はただひたすらに、城の者の、国の民のことを案じている。 「……あたしは……みんなを守りたいのに……っ」支えてくれる人たちを、大切な人たちを、守れなくて、何が王様だ。 ゼシルの体が震えている。寒さのせいだけではない。これは、必死で涙を抑えている証拠。 |